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小正月
2020.01.16
カテゴリ : 日々つれづれ

こんにちは、総務の藤井です。

 

13日は成人の日でした。

令和初の成人式が執り行われた自治体も多かったと思いますが、20年ほど前までは1月の第2月曜日という取り決めではなく毎年1月15日が「成人の日」だったため、決まった日にちではない成人の日に未だに少し違和感があるのは歳を重ねた所為でしょうか。

 

ちなみに以前の成人の日でもある正月15日は小正月(こしょうがつ)と呼ばれ、昔はこの日までが松の内だったそうです。

歳神様をお迎えする行事である大正月に対して、小正月はその年の豊作祈願や無病息災などを願う行事が多いのが特徴です。

今回は私の郷里の昭和の頃の小正月行事をご紹介します。

 

小正月の行事で有名なものといえば「どんど焼き」。地元では「どんどん焼き」と呼ばれていました。

当時は14日から16日が小正月で、どんどん焼きは14日の朝の行事でした。

前日の放課後から地区の子ども達が各戸を回って松飾りや昨年の達磨や羽子板などを集め、田んぼの端などに竹などを使ってやぐらを組み上げます。

私の郷里ではこの行事に関してだけは関わるのは男子だけで、毎年どんどん焼きの時は兄がやぐらを組むために遅い時間まで出歩けることを羨ましく思ったものでした。

 

14日の早朝からどんどん焼きが始まると、地域の人達が続々と集まってきました。

どんどん焼きで焼いたお餅を食べると一年間は風邪を引かないと言われるため、お餅を火にかざして焼く人。

書き初めを燃やして字の上達を祈願する人。

その年に厄年を迎える人は、どんどん焼きにお金を投げ入れたり集まった人にお菓子やみかんを配ったりして厄落としをします。

厄年は本厄だけでなく前厄、後厄も厄落としをしなくてはいけないので、私も最初の厄年の時には母に付き添ってもらいお菓子を配りました(後厄の年は進学で地元にいなかったので、母が代わりに配ったそうです)。

 

ちなみにどんどん焼きに投げ込まれたお金を拾ったら、その日のうちに使わないといけないという決まりもありました。

14日は平日なのである程度の時間になったら火を消して登校しなくてはいけなかったので、どんどん焼きに投げ込まれたお金を少しでも早く拾いに行きたい男子達は授業中も気もそぞろで、学校が終わると駆け足で帰っていました。

拾うときには女子も参加できたので、私も燃えかすをひっくり返して灰まみれの10円玉などを大喜びで拾っていました。

きっとその日の駄菓子屋には焦げたお金がたくさん集まったんでしょうね。

 

翌15日の朝にはお餅の入った小豆粥を食べて、その年の無病息災を祈りました。

小豆粥を食べるときはどんなに熱くても吹いて食べてはいけない。吹いて食べると稲刈りの頃に大風が吹くと言われていたので、猫舌の私は冷めるのを待つのが大変でした。

お餅が入っているので冷めにくく、食べるのに苦労したほのかな甘みの小豆粥の味は今でも懐かしく思い出されます。

 

こうした行事も社会の影響を受け、どんどん焼きは終了までゆっくり時間が取れる15日に変更になり、今は成人の日の朝になったそうです。

子どもの数も少なくなったので、正月飾り集めから当日の火の管理まで大人が執りしきる行事に変わってしまったようです。

残念ですがそうしないと地域の伝統行事を守っていくことができないのでしょうね。

私も文字に書き起こすだけですが、記録に残しておければと思いこのブログを書きました。

こんな時代も地域もあったのだと知っていただければ幸いです。

 

 

 

ちなみに下の写真は今でもお子様から大人まで大人気の駄菓子「どんどん焼」。

少し調べたところ、こちらの名前の由来は小正月行事とは関係ないそうです。

残念。

 

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