新盆と百八灯明

こんにちは、総務の藤井です。
もうすぐお盆ですね。
ここ伊勢崎のお盆は、「旧盆」や「月遅れのお盆」といわれる8月13日から16日までの期間で、弊社もこの時期は夏季休業をさせていただきます。
今年はオリンピックの関係で山の日が動いたために、思い切って10日からお休みといたしました。
お客様にはご迷惑をお掛けいたしますがご了承くださいませ。

さて本日は昔語りを少々。

その昔、私の田舎のお盆には『百八灯明』という風習がありました。
これは新盆を迎える年だけの習慣で、108本の篠竹に「お灯明」と呼ばれる小さなロウソクを刺したものを用意し、お墓にお迎えに行く際の道端に一定の間隔で刺していきます。
通常のお盆ではお墓で線香を上げる際に点けた火を盆提灯で自宅まで持ち帰り、『ひで』と呼ばれる乾燥させた松の根に移し替えて迎え火にするのですが、新盆の際はその火種を行きに刺したロウソクに順に灯して帰ります。

新盆のお迎えの時だけおこなうこの風習について、我が家が新盆を迎える際に父がこう教えてくれました。
「今年は新しいお盆様(お盆に帰ってくる精霊のこと)が帰ってくるから、道に迷わないようにしてあげるんだよ」

その年に初めて帰ってくるお盆様は、前の年に独り身のまま亡くなった父の姉でした。
私が小学2年生の頃。生まれて初めて自宅で見送った人でした。
里山の中腹にあるお墓から自宅までの数百メートルの道筋を、ゆっくり歩きながら父がひとつまたひとつと提灯からロウソクに火を移していく。
剥き出しのロウソクは、少し風が吹けばすぐに消えてしまう。
「火が消えちゃったら、おばちゃんが帰れなくなっちゃう」と心配した私に、父は「消えたっていいんだよ。一緒に帰るんだから」と頭をなでてくれました。

この風習を教えてもらってから、お盆の時期にこの百八灯明を見かけると子ども心にも「ああ。どこかで新盆があったんだな」と人の死というものに思いをはせるきっかけになりました。
多世代同居があたりまえの時代故かもしれませんが、私が幼少の頃の田舎では、こんな風に人の死というものに触れる機会が多かったように思います。

平成に入ってからは、108本もの篠竹を用意するのも大変だし、ロウソクに火を点けっぱなしで放置するのが危ないと認識されたのか、この風習を見かけることはなくなりました。
残念ではあるけれど仕方がないことだと思います。
でも時々夏の夕暮れの、あの道端に頼りなく揺れる小さなロウソクの炎を思いだし、なんともいえない郷愁を憶えることがあります。